ジャック・アタリ 「21世紀の歴史」

ジャック・アタリ 「21世紀の歴史」

ジャック・アタリといえば、フランスの現サルコジ政権下で「アタリ政策委員会」の議長として、本書でいうところの「超民主主義」の実践を目指して活動しているヨーロッパを代表する知性の一人です。

21世紀を展望するために人類の歴史を概観し、そこから帰納的に21世紀を予測するという手法をとっているのは別段目新しいことではありません。しかし彼の観察力洞察力にはなかなかのものがあり、なるほどねと思わせるところがたくさんあります。

古代において「アジアでは、自らの欲望から自由になることを望む一方で、西洋では、欲望を実現するための自由を手に入れることを望んだ。」との認識を示していますが、これがまさに現在まで続いており、その西洋の思想が世界を席巻しているのです。

当初西洋で発生したキリスト教は、「貧困と非暴力だけが救いであり、愛は永遠への条件であり、富の創造はもはや天の恵みではなく、進歩も重要性を持たない」と説いていました。

しかし著者は、未来への教訓として、「宗教の教義は、たとえどれほど影響力があったとしても、個人の自由の歩みを遅らせることには成功しなかった。実際に、宗教であろうが宗教から独立した権力であろうが、現在までいかなる権力も、この歩みを持続的に押し止めることはできなかった。」と述べています。その通りです。個人の自由、要するに欲望は際限なく膨れ上がっています。

イギリスの産業革命の時代に、未来への教訓として「欠乏こそが人々に新たな富を探し求めさせる。不足とは、野心を生み出すための天の恵みである。」また「技術を発明したのが誰であるかはさほど重要ではなく、文化的、政治的にこれを活用できる状態にあることが重要である。」と述べていますが、これこそが人類の猛威の原因なのではないでしょうか?人間の欲望は際限がなく、それが今、人類を、いや地球全体を危機的状況に追い込んでいるのではないでしょうか?人類の個人的な欲望に節度を持たせること、これが今後最も重要な課題なのではないでしょうか?

著者の現状認識は私と非常に近いものがあります。そして近い将来、人類は破滅的な道を辿る可能性が非常に高いと言わざるを得ないでしょう。

「人類とは俗物にすぎないことを甘受する方が理性的であると思える。また同様に、地球規模で寛容であり、平和で多様性を保ちながらも連帯感のある民主主義が世界に広がることなどあり得ないと考えた方が理性的であるのかもしれない。」

このような感情はまさに私がしばらく前から持っていたものでした。
しかし著者は諦めていないのです。
大変タフで熱い心の持ち主です。「超帝国」や「超紛争」を超えて、「超民主主義」の時代が到来する。他人の喜びを自分の喜びとし、世界市民として人類全体のゆとりある平和な世界を目指す「トランスヒューマン」が「超民主主義」の世界を築くと論じています。

本当に私の孫の時代になる頃には、そんな世界が実現して欲しいものです。
しかし悲しいことに私は彼のように楽観的にはなれないのです。
「人類とは俗物にすぎない」という認識がなかなか頭から離れません。かと言って孤高を気取るつもりは毛頭なく、アタリの言うところの「超民主主義」に少しでも近付けるように、自分でできることを地道に実践していくつもりです。

前半はやや退屈でしたが、後半からはずいぶん気分も盛り上がってきました。なかなかの良作なのではないでしょうか。