枯れ始めた日本の民主主義


日本にはかつて本格的な民主主義は存在しませんでした。
吉野作造を中心とする大正デモクラシーと呼ばれる現代版民主主義の走りのようなものはありましたが、主権在民、基本的人権といったような本格的な民主主義からはまだまだ遠いものでした。
一旦芽生えたかに見えた民主主義も、やがて天皇を頂点とし、その権威を利用する形で軍部が主導する大日本帝国体制が確立し、世界からの孤立を深める中でアジアの近隣諸国を侵略する野蛮な行為に出て、ついには世界を敵にする愚かな太平洋戦争に突入したのでした。
そして当然のことながらの破局的な敗戦。日本建国以来初めて主権を失うという未曾有の危機に陥ったのでした。
本来であれば完璧な敗戦国である日本の支配層は全て処刑されてもおかしくはない状況でしたが、戦後日本を実質的に我が物にしたかった米国の思惑で、米国への協力と引き換えに、形を変えた天皇制の維持と一部支配層の延命を許され今日に至っているわけです。

その際に導入された憲法は、世界的に最先端の民主主義を実現する素晴らしいものでした。もちろん、あの凶暴な日本(大日本帝国)が再び牙を剥かないように、憲法9条に世界に類のない軍事力の徹底的な制限を盛り込んであるのは特殊ではありました。
しかしこの9条のおかげで、朝鮮戦争やベトナム戦争に巻き込まれることなく、逆に思わぬ戦争特需によって日本経済が急速に発展する契機になりました。
しかし戦争によって徹底的に荒廃した日本が、他国の戦争で大勢の人々が苦しんでいるのを尻目に驚異的な復興を遂げるなんて、人間はなんとバカバカしく冷酷なことをするのでしょうか?

話が少し外れました。

敗戦によって世界でも最先端の本格的な民主主義が突然日本に降って湧いたわけですが、受け入れ側の民衆の意識レベルはほとんど原始社会の人間とさほど変わらないものでした。

お上が全て決める。
長い物には巻かれろ。
寄らば大樹の陰。
民は由らしむべし,知らしむべからず。

要するに敗戦直後の日本はほとんど封建時代そのままの民度だったわけです。一般民衆が政治に関わるなどという発想は全くないまま何千年も過ごしてきたのです。
こんな土壌に民主主義と突然言われてどうなると思いますか?
ほとんどの民衆は民主主義の意味を全く理解できなかったことでしょう。

それでは国民を教育したのでしょうか?
確かに学校の教科書に民主主義という言葉や、国会の仕組み、行政組織などの解説は見られましたが、それは単なる知識であってその意味するところまで教えてはいませんでした。私も民主主義の本当の意味や自らの行動がどうあるべきかについては教えられた記憶がありません。結局自分で後から様々な書籍で勉強することによって初めて民主主義について理解することができたのです。

こんな状況ですから日本国民の大部分は民主主義の本当の意味を理解していないのではないでしょうか?
せっかく素晴らしい民主主義という宝物を授かっても、それを受け入れる準備ができていなかった日本には、猫に小判のようなものだったのかもしれません。
民主主義が育つ肥沃な土壌改良をすることもなく、荒地にそのまま民主主義を植え付けたために、今や日本の民主主義は枯れかかっているのではないかと思わざるを得ない光景が、国民の国政選挙の投票行動を伝えるテレビ画面に溢れています。
我が家では政治談義は孫に至るまで日常的なものですが、周辺の日常会話では皆無に近い状態です。
近年世界から孤立しつつある日本も気になります。世界水準から見て今の日本はあまりにも異質です。戦前に国際連盟から脱退した日本を連想してしまう危機感を覚えます。危機は気付かない間に忍び寄ります。政治は個人の生命に直接関係する重要なものです。一人でも多くの日本国民が政治への関心は民主主義の基本であることに気付いて欲しいものです。

私が尊敬する内田樹さんのブログでも同じような見解が掲載されていました。
参考になると思いますのでぜひご覧ください。