貴重な人がまた

先日、直木賞作家の坂東眞砂子さんが若くして亡くなりました。
以前奇っ怪な行動をとったことで物議を醸した方でしたが、権力に対しては実に的確な見解を持った方でした。ごく最近では特定秘密保護法に関連して高知新聞にこんな記事があります。
多くの国民は日常的な表層の意識だけしか持たず、日常の底流に何が存在し進行しているのかに全く気付きません。そして今や戦争は遙か遠い伝説のような存在になり、戦争の本当の姿は霞んで見えなくなりつつあります。
現在の日本を牛耳っている権力自体、戦争を直接体験したことのない世代なのです。
これまた最近の朝日新聞の世論調査の結果を見て驚きました。
戦争体験は完全に風化してしまったのだと。
安倍首相の靖国神社参拝は、そもそも憲法違反であることに国民は気付いているのでしょうか?靖国神社は宗教法人です。その一宗教法人を日本の国民の代表者であるはずの首相が参拝するのを許すとは!完全な政教分離原則違反なのです。国民がこのような認識しか持てないようではとても憲法で権力の暴走を抑えることなどできそうにもありません。相変わらず私人として行ったから問題ないと強弁するでしょうが、内閣総理大臣安倍晋三と記帳していてそれはないでしょう。平気で嘘をつく人物であることが良く分かりますよね。福島第一が完全にコントロールされていると平然と言い放ったり、いったいどうなっているのでしょう?
適当に言い逃れすればいつものようにうやむやにできると思っているのでしょうね。要するに権力には分かっているのです。国民の大多数は表面的な考えしかしないことを。はっきり言えば国民は完全に馬鹿にされているということです。
憲法の改正を国民投票で過半数の賛成でできるようにしようとしていることもこれに関連しています。権力は国民の過半数は簡単に騙せると自信を持っているのです。小選挙区制も同じです。物事を真剣に深く考える人は少数派です。この少数の意見は権力の不正や矛盾を鋭く突くことが多いのですが、これに力を与えることは権力にとって非常に都合が悪いのです。ですから何とかこのうるさい少数の声を封じようと色々な手を考え出すのです。
当時もっとも民主的な憲法であったワイマール憲法の下でナチスが誕生したことを忘れてはなりません。単純に多数決が正義という考え方は非常に危険なのです。
司法も全く信用できません。司法の独立などといいますが、そもそも最高裁を見れば分かるように15名の裁判官はいずれも内閣が指名あるいは任命するのですから時の政権の意に沿った人間が選ばれることになるのです。この仕組みからして政権の暴走を防ぐことは全く期待できません。現に必ずといって良いほど、重大な憲法違反に関係する裁判では曖昧な判決で終わっています。
残るは国民が自ら目覚める以外に権力の暴走を食い止めることはできないのです。
欺されても欺されても懲りない国民の大多数。酷い目に遭ってもまたしばらくすると忘れてしまう。
もしかしたら日本だけではなく世界共通なのかもしれませんね。