このところ何かと忙しくてじっくり読書をする時間がありませんでした。 そんな中で読んだ本は写真の通り。

「戦後史の正体」
「政府は必ず嘘をつく 増補版」
「誰がこの国を動かしているのか」
「原発プロパガンダ」
「日本会議の研究」
「永続敗戦論」
本当に知らなかったことばかりで驚いてしまいます。
しかししっかりしたエビデンスに基づく考証には説得力があり、それ故に戦慄さえ覚えるほどです。
特に重要なのは海外の公文書公開制度です。通常は25年で原則公開されるのが常識です。
日本では全く知られていないことが、アメリカの公文書公開で初めて明らかになったという事例は枚挙にいとまがありません。
一方の日本は全く逆の方向に動いているようです。最近では秘密保護法がその最たる例ですが、欧米の先進国と比べるとその後進性は際立っています。極端な例では、都合の悪い証拠は破棄するという慣行が省庁(特に外務省は悪名を轟かせています)で蔓延しているほどです。
大手メディアが権力側にコントロールされている日本ではなかなか真実が明らかにならないというのが現実のようです。
日本で真実に近づこうと思ったらテレビや新聞などの大手マスコミに頼ってはいけません。
日本ではテレビやマスコミで重要な真実について報道されることはまずないといってよいと思います。
NHKなどで、中国で放送されているNHKの放送が突然切断されるという映像が報道されることがよくありますが、日本では支配層に都合の悪いことは事前に除外されているのです。中国ほどではないにせよ、実質的には中国と似たり寄ったりということでしょう。
世界的にもその傾向がありますが、日本ではテレビは主として娯楽を提供するものという位置づけで、視聴者もこれを期待してテレビを視聴します。昔、ローマ帝国では、民衆の不平不満をそらすために、コロセアムで残虐な見世物を提供していました。今のテレビはそれと似たようなもので、民衆の不平不満が支配層に及ばないように気をそらすツールとして機能しているようです。
従って日本で真実に近づこうと思ったら適切な本を読むしかありません。
さすがに日本ではまだ政治的な本で発禁処分になるほどに危機的状況にはなっていません。
ですからその気になりさえすれば知らされていない真実を比較的容易に知ることができるのはありがたいことです。しかし考えてみると日本では私が読んだような本が100万部を超えるベストセラーになったということはありません。それにもし100万部売れたとしても日本の人口を考えるとわずか1%にも満たないのです。
真実を知った人がこんな少数では選挙結果に影響を及ぼすことは難しいでしょう。
一方テレビ放送は、一挙に数百万、数千万という人たちに影響を及ぼすことができます。
そこで真実は隠され、真実ではないことが報道されたとしたらそれが一挙に世論を形成します。
そしてそれが選挙結果に直接現れることでしょう。
民主主義は民衆が主人ということですが、肝心の民衆が真実ではなくその時の気分や雰囲気で物事を決定するとすれば、それは恐ろしい結果を招くことになるでしょう。
テレビは特に気を付けなければならない媒体で、視聴者は受け身です。情報が無理矢理注入されます。一種の洗脳といってもよいでしょう。主体性をもって注意深くテレビ局や番組を選べばよいのでしょうが、どのテレビ局や番組が適切かは他の情報源、例えば書物を調べなければわかりません。そこまで意識の高い人がどれだけいるか、ちょっと悲観的にならざるを得ません。
そんなことを考えていると今の日本の民主主義がほとんどインチキではないかと思えてきます。
本来の民主主義は、主体性を持った民衆が真実に基づいた考察によって到達した考えを議論検討して最善の道を選択するシステムではないかと思いますが、実際は真実は知らず、ただマスコミなどによって作られた気分や雰囲気で物事を決定しているように思います。
そんな状況で最も危惧すべき事態はあのナチスの再来です。
ナチスも民主主義の下で生まれました。
民主主義社会だからと安心していてはいけません。
民主主義は民衆の怠慢によっていつでもすぐに独裁主義に移行する危険を内在しているのです。
今回の読書ではそんなことを考えさせられました。