今日の一言

歴史的な出来事が起きた週末でした。
南北首脳会談の実現とその画期的な内容に感極まるものがありました。
世界中が歓迎の反応を示す中、なかなか素直に喜びを表さなかった日本が、現在の世界における日本の位置をはっきりと示していました。脅威を煽ることに懸命な日本は、かつての平和国家の面影もありません。日本は世界に平和が訪れることを願っていないのでしょうか?

外交ですから裏があるのは当たり前。でも対話がなければ何も進まないのも事実。過去に裏切りがあるから対話をしないなどと言ったらいったい何をするつもりなのか?裏切りがあろうがなかろうがそれを乗り越えて解決していくのが本来の外交というもの。日本のように親善大使ばりのお気楽外遊ばかりしている国では、とても本来の国益を賭した外交はできないでしょう。

今この国は決定的に腐敗し全ての能力が退化してしまいました。
今日の朝日新聞の記事が、今の日本を的確に表現していました。

『この国の権力の中枢はいま、荒んだ「卑」の景色の中にある。
国民は自分たちの程度に見合う政府しか持てないと、往々言われる。「この国民にしてこの政府」というきつい警句が議会制民主主義の本場英国には残る。
その言葉に照らして、いまの永田町と霞が関に目を向ければ、私たちはこのレベルなのかとげんなりさせられる。中枢を担う政治家や官僚から、これほど横柄で不誠実な「言い逃れ」を聞かされ続けた歳月があっただろうかと思う。
たとえば首相である。加計問題について、うそつきと言うなら証拠を示せと国会で力みながら、愛媛県の文書については「コメントする立場にない」とはぐらかす。森友問題の国有地売却価格への認識も、不都合な事実が表面化するや曖昧(あいまい)に翻した。類する場面は一再ではない。
公文書の改ざんも発覚した。「記憶の限りでは会っていない」と言う側近官僚は疑念にまみれている。あるはずのものをないと言い、ないと言っていたものが出てくる。そうした中で首相は言葉だけで「信なくば立たず」を繰り返す。』

多くの国民が何を思っているのか分かりませんが、粗野にして卑なる景色はいっそう露わになっていることだけは確かに思われます。
そんな浅ましい人の世を知ってか知らずか、ケンタは今日も一点の曇りもない澄んだ目で、私を見つめてくれていました。

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