権力の「背信」

暑いですねぇ〜
最近はどこに行ってもこの言葉が最初に出てきます。
梅雨明けが早いと太陽高度が一番高いところにある季節だけに、そのエネルギーは半端ではありません。
でも我が家では太陽光発電の自前の電力でエアコンを何の気兼ねもなく思う存分使うことができるので本当に良かったと思っています。実は電力会社だってこの時期は太陽光発電にずいぶん助けてもらっているのです。

さて、太陽光発電で得られた電力で作られた、快適な涼しい部屋で分厚い本を読み終わりました。去年から最大の関心事だったテーマですから大枠は知っていたのですが、細部まできめ細かに記載されているので改めて新鮮な思いで読み進みました。国民全てが知るべき大切なことが書かれています。権力の「背信」、良い本です。
朝日新聞取材班が、地道な取材で得られた膨大な事実を、綿密に論理的に紐解いて、権力の「嘘」、言い換えれば、権力の国民に対する背信行為を暴いた渾身の一冊です。

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公文書が平然と改ざんされたり隠されたり廃棄される昨今、このような記録は貴重です。政府が提出する資料は今や全く信用できないものとなりました。

この本を読めば、多分大部分の国民が、今の政治状況が戦後日本が未だかつて経験したことのない異常な状態にあることに気付くことでしょう。それほどあからさまなことが行われているにも拘わらず、現実には国民の大部分は真実を知らないまま、今日もいつもと変わらない日常を過ごしているのです。

それは何故なのか?
日本国民の大部分が民主主義を全く理解していないからです。
民主主義は国民一人一人が政治に関わって初めて成り立つものです。自分の代理人である議員を選んでそれでお終いではないのです。その代理人である議員が本当に自分が望んだ働きをしているのかを見守る必要があるのです。

本当はメディアが正しくその行動を報道してくれればありがたいのですが、残念ながらメディアは様々な思惑に左右されます。民営であれば利益によって、NHKのような公共放送を自称するところは政治によって報道内容は偏るでしょう。

そしてまた日本国民の多くは、政治の話題よりも紀州のドンファンだったり、ワールドカップだったり、相撲協会の騒動だったり、芸能界の話題だったりに関心があります。たとえその陰で国民の将来に重大な影響を与える可能性がある法案が、次々に強行採決されていたとしても、今の大部分のメディアはそれについてほとんど報道しませんし解説もしません。そもそも国民がそれを望まないからでしょう。国民はパンとサーカスが大好きなのです。

このように日本では、国民主権といいながら現実にはその主権を国民自らが放り投げて誰か勝手にやってくれといった状態なのです。ですから今の政府はこの国民の意向に沿って勝手にやっているだけなのです。

どれほど勝手にやっているかは一度でも国会中継を見れば相当鈍感な人でも分かると思います。でも国会中継を視聴する人って、日本に何人いるでしょうか?
ほとんどの人は、うまく編集されたニュース番組で視聴するくらいでしょうね。
残念なことに日本では、多分身の危険や困難が自分に直接降りかかるまで気が付かないでしょうし気が付こうとも思わない人が大部分だと思います。

日本国内よりも海外の方がより的確に日本の状況を理解しているように思います。日本ではあまり取り上げられない重大なことも海外の有力紙で大きく取り上げられています。例えばつい最近、日本では隠されている安倍首相と親密な関係にある人物のレイプ犯罪揉み消し疑惑がBBCでドキュメンタリー「Japan’s Secret Shame」として放送され大きな反響を呼びました。今では海外の人々の方が日本の現実を良く知っているのではないでしょうか?どうやら日本も中国や北朝鮮のように実質的な情報統制下にあるように思えます。これも日本国民の無関心が利用されて作り出された状況なのでしょうね。

しかし森友・加計学園問題なんて氷山のほんの一角に過ぎないのでしょうね。この本を読むとその背後にある広大な闇の存在を強く感じます。国民が無関心でいると闇はここまで育ってしまうのですね。

もう一冊並行して読んでいる本があります。
薬師院仁志「ポピュリズム」です。

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まだ途中ですがその中に気になる部分がありました。

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1934年8月19日の民族投票(国民投票)によって、ヒトラーが首相と大統領を兼任し、「総統」となることが承認される。この時の投票率は約95%、そのうち賛成票が約90%であった。要するにヒトラーは選挙や投票という間接民主主義的な手続きを通じて独裁者に選任されたのである。それを認めたのは一票を投じた国民に他ならない。しかしながらヒトラー自身に明確な指針や確固たる信念があったわけではない。その本質はエーリッヒ・フロムが指摘した通りである。
ナチズムは純粋な政治的ないしは経済的な原理は何も持っていなかった。ナチズムの原理といえばまさにその甚だしい日和見主義であるということを理解することが大切である。
フロムの指摘する「甚だしい日和見主義」は、デマゴーグ型ポピュリズムに共通する特徴である。実際、現代的なポピュリストたちもまた、それぞれの主張がどうあれ、すぐに「意見や基本方針を変える」という点では完全に一致しているのだ。
それはまさに「日和見主義」であって、純然たる支離滅裂ではない。ポピュリストたちは、時と場所に応じて、最も耳目を引き、最も扇情的な効果のある発言、文字通りのデマ、を放ち続けるのである。
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なんだか今の日本の政治状況とダブって見えてしまうのはどうしてでしょうか?
今の日本は先人が蓄えた富を撒き散らしながら墜落して行く飛行機に思えてならないのです。しかも乗客は全くそのことに気付いていないという、、、