「デジタル馬鹿」とは何とも強烈な言葉である。これは、最近のデジタル技術が普及した時代に生まれた世代を「デジタルネイティブ」と称して持て囃す風潮に対する警鐘として、著者があえて使ったのであろう。
「デジタル馬鹿」の著者はフランスの認識神経科学の専門家であるミシェル・デミュルジェ。
翻訳本独特の読みづらさはあるものの、学者らしい多くの文献の解釈を論拠とした綿密で論理的な説明は説得力がある。
本書で扱う範囲は広く、主として「画面」を持った装置(映画、テレビ、ゲーム機、パソコン、スマートフォン等)の負の影響を白日の元に晒して無防備な人々に注意を喚起することを目的としている。

多くのマスメディアは昨今のデジタル技術の進展を非常にポジティブに吹聴しているように思う。特に先に上げた「デジタルネイティブ」は、この世代が今までと違った優れた能力を持ち世の中を変革していくというイメージを作り出している。しかし何事にもネガティブな面も存在するわけで、その部分の透明性ある開示や注意喚起はほとんど行われていない。何か政治的、経済的胡散臭さを感じる。

この本ではかなり衝撃的な事実が次々と明らかにされる。メディア、特にテレビメディアは絶対に伝えたくない事実が満載だ。またディスプレイを備えたデジタル機器(ゲーム機、スマートフォン、パソコン、オーディオビジュアル機器)を製造するメーカーも舌打ちをしたくなるだろう。

便利さや娯楽と引き換えに何が失われていくかを知ることは、自分や子どもたちの人生を考えるときにとても大切だ。選択はもちろん個人の自由であるし権利でもある。でも何も知らないで選択してしまったら取り返しがつかないことにもなる。
人生では様々な場面で選択や決断を迫られる。その時に何も知らずに何も考えずに選択や決断を行ったら、、、

本書で執拗なほど言及されているのは、幼少期から思春期に至るまで、ディスプレイに晒される時間がどれほど人間の脳の発達に悪影響を与えるかの数々の実証実験結果とそれによって導かれる結論の紹介である。

また、ゲームの影響に関する記述では大変驚くべきことに触れられている。
何と、集中力を減退させるというのだ。ゲームに熱中して徹夜までもしてしまう例もあるほどなので集中力が高まるのではと思いがちだが全く逆なのだ。
しかしよくよく周りを見回してみると、最近の若者がビデオを等速で見ずに早送りで見るとか、youtube番組は長いと見られなくなるとか、本も飛ばし読みするとかの傾向が顕著になっている。
そしてダメ出しではないが、カナダのマイクロソフト社マーケティング・サービス部門の調査結果によると、人間の注意力がここ15年間ずっと下がり続けているというのだ。そのレベルは金魚レベル以下だという。そして企業の広告に対しては、短く、簡潔に、早く伝わるようにと忠告している。

とりわけ近年世界を覆い尽くした感のあるSNSには重大な危険が潜んでいるように思う。特に若年層における影響は非常に深刻だ。LINE、フェイスブック、インスタグラム、X(旧ツイッター)などなどのデジタルコミュニケーションツールは、四六時中人間を束縛コントロールし、勉強や仕事への集中を阻害し、健康やパフォーマンスの維持に大切な睡眠時間を奪い取る。これによりどれだけ大きな社会的損失が発生しているか、誰も知らない。一度この罠に嵌まってしまうと喫煙や飲酒のようになかなか抜け出せない。

今、国や経済界挙げて激推しの「デジタルネイティブ」たる新人類が世界を変えていくことは確かだが、それがバラ色の未来か、それとも破滅の未来か、よくよく考えなければならないのではないだろうか?
物事には利害得失がある。今全世界で急速に進んでいる社会のデジタル化が、都合の良い面だけを見て不都合な面を隠して進行しているものであるなら、いつかとんでもない破綻が起きるだろう。
人間を含め生物は非常に長い時間をかけて地球環境に適応し進化してきた。今人間社会で起きている色々なことが、この壮大なタイムスケールの中ではほんの一瞬であることを理解すれば、如何に今の人間に過激なストレスがかかっているかが想像できるだろう。
特に社会のデジタル化は人間にどれほどのストレスを与え、それによってどれだけ傷つくかの正しい評価は欠かせない。バランスをとりながら破綻しないように慎重に進めるのが正しいやり方だろう。
突然変異のように、偶々当たったものが生き残る適者生存的な進め方をしたら、人類は何度滅亡してもおかしくない。ホモ・サピエンスと自称するなら本当に賢く振る舞って欲しいものである。

著者が是非読んで欲しいと願う対象は、これから親になり、子を育てていく若い世代である。本書は、現代世界に蔓延する商業主義による害毒から、人類の未来を担う子供達を守りたいと心から願っている著者の切実なメッセージが込められた力作であると思う。著者ではないが是非是非多くの若い世代の人たちに読んで欲しい。

しかし皮肉なことに、読んで欲しい様な人はこの手の本は絶対に手に取らず、読む必要のない人だけが読むという現実がある。強制的に学校で授業に取り入れるくらいしないと無理なんだろうとは思う。