大学講師の倉橋耕平氏の著書である。とても興味深い視点で勉強になった。
論理的には完全に破綻している歴史修正主義が、なぜ消えずにむしろ力を得て拡大し続けているのかの考察だ。
しかしこの本は一般読者が読もうとするとかなり戸惑うだろう。それは研究者によく見られる非常に緻密な実証を中心とした展開が、読者をして、木を見て森を見ずという状態に陥らせる可能性が高いのではないかと思われるからである。
この本の読み方としては、著者も推奨しているように、「はじめに」「序章」「終章」を読んでから各章を読むと良いかもしれない。要するにまずは全体像を掴んでから細部を点検するのである。

この本を読む以前から漠然と考えていたことが意外と的を射ていたことにちょっと驚いた。
私の見解も交えて述べると、要するに歴史修正主義者、特にそれを職業とするような人たちは、歴史的事実に一切関心はなく、こうあって欲しいという新しい物語を作り出すことを目的としているということだ。そして最も基本的なことは、彼ら歴史修正主義者はその分野に関してズブの素人であるという点である。

歴史修正主義者が存続し得る十分な背景がある。
日本の国にとって不名誉な事実についてはこれをなかったことにしたいと思い、逆に日本はこんなに凄いことをしてきたのだ、世界のために役立ったのだという大変誇らしい話を望む人々は、敗戦という屈辱を経験した日本においては非常に多い。特に太平洋戦争を遂行した中心的人物たちは、敗戦後戦犯として戦勝国によって裁かれたわけだが、彼らの末裔たちにとっては是が非でもこの屈辱的な過去を消し去りたいという強い思いがあることだろう。
このような需要層は当然のことながら保守層に集中している。そしてこういう保守層を地盤とする政党(自民党や維新の会など)は、当然のことながらこの歴史修正主義者のお得意様になる。保守政党は歴史修正主義者を支援し、夢に見た薔薇色の歴史を作り出してもらい、保守層の強化と拡大を図るのである。

歴史修正主義者は日本では1990年代から目立ち始め、2000年代に入って安倍政権が誕生すると急速にその活動が活発化した。無数の歴史修正本が巷に溢れ、教科書までもその侵食を受けつつある。
とにかく異常だったのは安倍政権下であった。安倍政権下で実施された「桜を見る会」には、常連としてこれら歴史修正主義者の面々が毎年の様に招かれていたのは周知の事実である。また毎日のように至る所のテレビチャンネルに歴史修正主義者と思しきタレントやコメンテーターが出演し、事実と異なる言説を茶の間に撒き散らしていたのである。安倍政権と歴史修正主義者の親和性は非常に高かった。

国会でも異常な事態に陥っていた。
本来真摯な議論の場であるはずの国会が、まるで三流のディベートの場の様相を呈し、言葉の言い換えやはぐらかし、虚偽答弁が蔓延し、官僚機構に至っては公文書の書き換えや隠蔽、廃棄など、およそ文明国ではあり得ない様な惨状を呈するまでになってしまったのである。
事実を無視し、都合の良い虚構をでっち上げる歴史修正主義者の思考に、国家の中枢が染まってしまったのである。これが一過性であればまだ救いはあるのだが、お気楽な国民の絶大な支持を得て現在も順調に進行中である。

歴史修正主義者の生産性は高く、割の良い職業である。彼らは、真のジャーナリストや専門家がエビデンスを集め、いちいち事実の検証をするような手間を全て省いて、何の根拠もない架空の物語をつくりさえすれば良いのだ。一般の作家と違って権力や権威をバックにつけることができ、その影響力を利用して作品の販売も手広くできる。労少なくて非常に儲かる商売で、一度やったら止められないだろう。愛国商売は儲かるのである。
そこまでは良い。でもこの歴史修正主義が無防備な全くの素人の一般大衆に遍く広まってしまったらこの国はどうなるのだろう。世界の他の国々と正常に付き合っていけるのだろうか?
とんでもない偏見や差別に染まった国民は多くの国と無用な敵対をすることになりかねない。そして根拠のない国力(工業力、技術力、研究力、経済力、文化力などなど)に胡座をかき、何の努力もしなくなったとしたらこの国は衰退し原始的な島国として世界の中で消えてしまうかもしれない。

歴史修正主義者に対して間違っていると指摘するのは無駄な行為である。彼らは間違っているのは承知なのだ。
天文学者と占星術師を議論させるのと同じで、そもそも双方の考え方のルールが全く異なっているのだから永遠に噛み合わないのだ。
この問題は論理的正しさは重要ではなく、どれだけ多くの人間に信じ込ませるか、その方法論の問題なのである。それにはここでもメディアが大きく関わっている。以前のような本や雑誌だけでなく、今はテレビやSNSを通じて急拡大中である。テレビやSNSなどのメディアは、大勢の素人を取り込むのに非常に適しているのだ。歴史修正主義者の物語は、多くの人たちに心地良く受け入れやすい上に、長々とした難解なエビデンスの検証作業などがないので短い説明で済み、時間や文字数に制約のあるテレビやSNSと相性が良いのだ。

素人である民衆に歴史修正主義者の物語は事実ではないと分からせることは非常に難しい。素人が苦手な検証を通じてしか事実の確認ができないことが大変なハンディキャップとなる。何しろ歴史修正主義者は素人であるから素人に非常に受け入れやすい、しかもある種心地良い物語を作っているのである。歴史修正主義者の物語にどれだけ多くの民衆が汚染されるかは、民衆一人一人の「知」のレベルに依存するのだろう。一定レベルの知的水準を持っていれば、素人といえども論理的矛盾や常識からの乖離などは認識できるはずだ。全ての民衆が歴史修正主義者の物語を信じるわけではないだろう。しかし、、、とても心配である。しかも学校教育、教科書にまで歴史修正主義の汚染が広まってしまったら日本の将来は取り返しのつかないことになる。やはり「新しい戦前」が始まろうとしているのかもしれない。