心理学というのは人間行動を対象とした分析研究を行うとても興味深い学問で、以前から非常に関心がありました。少なくとも人間が関わる社会において心理学に関係ないものはないのではと思われるくらいです。
そこで今回はこんな本を読んでみました。

本書では政治や社会の様々な場面で、人々が如何に簡単に騙されるのかについて具体的な人物や例を使って解説しています。そこで活躍するのが「演技性パーソナリティ」という性格。政治の世界ではおなじみで、特に際立っていたのが小泉劇場。今はより磨きをかけた安倍劇場が盛況です。これにはマスコミが強力なバックアップをしているのが特徴です。先の大戦の時もラジオ、新聞などのマスコミが戦争を強力にバックアップしていましたね。
詐欺も劇場型詐欺が急増していて被害も急増。自ら考えることに慣れていない日本国民は政治の劇場にも詐欺の劇場にも簡単に没入して騙されてしまいます。
そういえばマスコミにも簡単に踊らされて頻繁に一過性の大騒ぎをしているような気がします。こんなことで日本という国は大丈夫なのかいなと非常に心配になってしまいますよね。
本文も面白いのですが、私が特別に惹きつけられたのは最後に引用された伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」というエッセイでした。
戦争責任についてほとんどの人が騙されたという。でも実は全ての人がお互いに騙し合っていたのではないのか。
「だますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作無くだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力で掴み得なかった事実と全くその本質を等しくするものである。」
現在安倍政権下で進行中の立憲主義、民主主義崩壊の危機は、日本では起こるべくして起こっている現象であることをこれほど的確に表現している例を知りません。
以前から私が主張している通り、日本の民主主義は安物のメッキで、やがて剥がれて地が出るのは当然なのでしょう。
敗戦という多大な犠牲を払ってたまたま手に入れた希望の光の意味を理解することなく、再び戦前の暗闇の中に戻ろうとしている日本国民の未来を心配せずにはいられません。
日本では日増しに醜悪なものたちが力を持つようになってきました。政財官民のトップは醜悪なものたちに支配され日本はとんでもない方向に進み始めました。心ある人は日本の将来に絶望して海外移住を真剣に考え出したのではないでしょうか?長い間生きてきましたが、これほど日本の将来を悲観したことはありません。