ウグイスの方言

この街では毎年春に散歩にでると美しいウグイスの声を聞くことができます。
この街に移ってきてかれこれ19年になりますが、最初の数年はウグイスのさえずりは典型的な「ホーホケキョッ!」でした。

ところがそのうち所々で何かしゃっくりをしたようなさえずりに変わってきました。しばらくは典型的なさえずりと、何かしゃっくりをしたような変なさえずりが混在する状態でした。

そして昨年から今年にかけてとうとう典型的なさえずりは全く聞くことができなくなり、今はすっかりしゃっくりをしたようなさえずりに変わってしまったのです。

これがそのさえずりです。


人間の言葉と同じように、鳥のさえずりも段々変化していくものなのでしょうね。
私が生きてきた短い時間の経過の間にも、NHKのアナウンサーのイントネーションの変化にはびっくりします。

関西系の出身者が多いためかもしれませんが、今やNHKのアナウンサーのイントネーションに関西弁がかなり混ざる場合が増えてきました。
イントネーションはともかく、アナウンサーの中では流石にまだ「ら抜き言葉」はメジャーにはなっていないようですが、世の日常会話はほとんどが「ら抜き言葉」になっています。やがて「ら抜き言葉」が標準語として定着するのもそれほど遠い将来のことではないでしょう。

古い私はいまだに「半端ない」という言葉に強烈な違和感を感じたままです。「半端ではない」が標準的な言い方ですが、大の大人がまるで言葉を話し始めた幼児のような言い方で、なんだかなーとため息が出るのです。でもこれもやがて当たり前の標準語として定着して行くのでしょう。
言葉とはそういうもので、絶対不変のものではありません。
飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代・江戸時代、そして現代と、きっと驚くほどの変化をしてきたのだと思います。

言葉の変化は自然の成り行きとして受け入れられますが、昨今の社会の変化には受け入れがたいものがあります。
戦後せっかく手に入れた国民主権、基本的人権を、その意味も十分理解せぬままに再び手放そうとしているかに見える日本国民の無知蒙昧さにはただ呆れるばかりです。
テレビや雑誌、新聞などのマスコミの情報を無批判に受け入れる習慣をやめ、自らの頭で考えることを始めるだけで社会の見え方が変わり、進むべき道が見えてくると思うのです。

受動的な情報の吸収は洗脳されているのも同然で極めて危険です。テレビはそれの最たるもので警戒して視聴すべきものです。いつの間にか取り返しのつかない考えに支配されてしまいます。
情報の収集は能動的に行われるべきです。しかもその情報については鵜呑みにするのではなく常に批判的であるべきで、検証することを忘れてはなりません。

真の国民主権の民主主義国家に属する国民は最低限、これくらいの心がけが必要だと思います。とは言っても実在する民主主義国家でここまで国民が自覚している例は少ないとは思いますが、目指すべき大切な目標だと思います。